
Written by Kojiro Sawa
小雨の降るなか、僕はカパフル通りに1人立っていた。ある一軒家に咲いている見事なプルメリアの木を見上げながら、8年前の秋のある雨の日の晩のことを思い出していた。
当時僕はハワイ島ヒロにある語学学校に留学していた。古くて白い木造立ての一軒家に男5人で暮らしていた。
ある秋の日の晩、サモア出身のタビタと沖縄出身のモリツグと3人でラナイに大きなテレビを持ち出して、ビールを片手にハリウッドの戦争映画を観ていた。
外は映画の邪魔にならない程度の静かな雨が降っていた。
映画がクライマックスに差し掛かった頃、電話が鳴っているのが聞こえた。
モリツグが電話に出た。
僕への電話だった。電話に出てみると、その相手に僕は驚いた。
僕の教師であるローレルからだった。
ローレルは生真面目だけど、時折愉快な一面を見せる美人の白人女性で、男子生徒の間で人気のある教師だった。
学校では個人的に生徒と教師が電話をすることは禁じられていたため、僕はとても気になった。
彼女はずっと黙っていた。
いつもならお互いに冗談を言い合う仲だったので、その沈黙に耐えることができず、
「もしかして、僕の声が聞きたかった?」
彼女が笑ってくれると思っていつものように冗談を言ってみた。
すると
「ええ。」
と彼女はいつもとは違った様子で静かにそう答えた。
思いもよらない返事といつもとは違う彼女の態度に戸惑った。
僕はどうしていいか分からなくなった。
「今あなたの周りには誰か居る?」
彼女は小さな声で聞いてきた。
「居るよ。」
僕は映画に見入る2人のシェアメイトを見ながら答えた。
「どこか違う場所に移ってもらえるかしら?」
彼女は申し訳なさそうに言った。
「わかった。」
僕は自分の部屋に入った。
すると彼女が大きな深呼吸をしたのが聞こえた。
「あなたに恋をしてしまったみたい。」
僕は突然の言葉に耳を疑った。
「最初はクラスで冗談ばかり言うあなたが正直好きではなかった。でも気が付くとその冗談に笑っている自分が居て。」
「でも…結婚していなかった?」
「あれは嘘。去年離婚してそれで1人ハワイに来たの。夫と別れてからは笑うことなんて、すっかり忘れていたわ。でもあなたが思い出させてくれた。それから段々とあなたに好意を抱くように。」
「でも、僕らの関係は。」
「どうすることも出来ないのは承知よ。でも抑え切れなくなってしまったの。気持ちだけは伝えたくて。ごめんなさい。」
「謝ることはないけど、明日から僕はどう接すればいいのか。」
「そうよね。今まで通りで、と言っても無理よね。本当にごめんなさい。」
「分かった。努力してみるよ。ローレルもそうできるね?」
「ええ。なんだかすっきりしたわ。夜遅くに悪かったわね。お休みなさい。」
僕は電話を持ったまましばらく天井を見上げた。
窓の外からは雨の音がかすかに聞こえていた。
それから2ヵ月後、僕は日本へ帰ることになった。
ハワイ生活最後の日曜日に僕はローレルと最初で最後のデートをした。
場所はハプナ・ビーチの横にあるローレルお気に入りのシークレットビーチだった。
「毎年妹の家族と両親とで、ここでキャンプをするの。それが唯一の楽しみでね。姪っ子達もお気に入りなの。」
僕らは大きなプルメリアの木の下に座った。
吸い込まれそうな雲ひとつない真っ青な広い空と、透き通るような綺麗な海と目の前の大きな流木が2人だけの時間を彩っていた。
時おり風に乗って鼻先を通り過ぎるプルメリアの甘い香りがとても心地よかった。
僕等はお互いの学生時代の話や家族の話、ハワイの話をたっぷりと時間を掛けて話をした。時折見せる彼女の笑顔が愛おしかった。
しばらくすると、さっきまで晴れていた空が嘘のように曇り始めてきた。
ハワイではよくあることだった。
頬に雨がぽつりと当たった。
ポツポツと少しずつ降り出してきた。
僕等はそのやさしい雨にあたりながらずっとずっと話を続けた。
これからどうすることもできない関係と分かっていながら。
僕の肩に横たわる彼女の頬から流れる涙が雨と混ざりとても温かかった。
それから2年後の秋、東京に住む僕の所にハワイから1通の手紙が届いた。
ローレルからだった。
結婚したという報告だった。
優しそうな日系人男性と写っている彼女を見て、少し切なくなると同時に、幸せそうな彼女の顔を見てうれしくなった。
僕は曇り空を見上げた。ぽつりと雨が頬にあたった。あの時と同じやさしい雨だった。
僕は路面に落ちていたプルメリアの花を拾い鼻に近づけた。
そして車に乗り込み、ボンネットの上にそのプルメリアの花を置いた。
車のエンジンを掛け、アクセルを踏んだ。
窓を開けると、置いていたプルメリアが風に乗り外へ飛び出して空高く舞い上がっていった。