
Photo by Kuni Nakai Written by Kojiro Sawa
「見事なプルメリアの木ですね?」
「59年ものですよ。」
サイモンさんはちょっと自慢げに言った。
僕は旅行雑誌のインタビュー取材を通して知り合った、ある夫婦と彼等が住む一軒家の庭先に居た。
この家の持ち主はかつて鮫釣りの名人で、世界記録をもつ日系人のサイモンさんだ。
ごつくて団扇のような大きな手と、83歳とは思えない背筋の伸びた立派な体系を除けば、鮫を釣っていたとは思えない気の優しい老人だった。
「この色のプルメリアが一番好きです。」
と僕が言うと、サイモンさんはうれしそうに微笑んだ。
目の前にある巨大な木には白と黄色のプルメリアが満開に咲いていた。
「59年前に家内のサエとこの島でお見合い結婚をして、子宝には恵まれなかったけれど、なんとか今まで幸せに暮らしてきました。今、彼女は水頭症で思うように体を動かすこともできなければ、話すこともできません。」
サイモンさんの横には車椅子に座った、気品漂うサエさんが座っていた。
「水頭症ですか?」
「ええ。認知症によく似た病気です。あまり聞かない病気ですよね。私もサエがこの病気に患って初めて知りました。」サイモンさんは話を続けた。
「私はここオアフ島で生まれ、1歳の時に、家族で広島に移りました。そして、16歳の時に、会ったことのない伯母を訪ねて、単身で再びオアフ島に戻りました。当時は、オアフ島まで、広島から横浜を経由して、約10日間掛けての渡航でした。慣れない船旅で船酔いが3日も続き苦しかったのを覚えています。その後、船で同世代の男性と知り合い、オアフ島に着くまでは彼と共に過ごしました。とても心強かったです。」
「今では考えられない旅ですね。」
「ええ。10日目が過ぎた朝、オアフ島が遠方に見えました。あの時の感動は今でも忘れません。港に着くと海底には何匹もの鮫がうようよと泳いでいました。その頃はまさか自分が鮫釣りになるなんて夢にも思っていませんでしたけど。」
サイモンさんは静かに笑った。
物静かだが、隣に居るだけで、重圧を感じた。彼の厚みのある人生のせいなのだろうか、僕はそんなことを考えていた。
「港に着くと、たくさんの出迎えの方たちがいました。そのなかから伯母を探すのに時間はそう掛かりませんでした。お互い顔を知らないのに血の繋がりというのは不思議なものですね。」
少し肌寒い風がプルメリアの木々をさわりながら通り過ぎた。
サイモンさんはサエさんにブランケットを掛けながら話を続けた。
「オアフ島で生まれたと言っても、当時英語は全く話せませんでした。それにお金もなかったので、すぐにパートタイムの仕事を始めました。学校に通いながらの仕事は正直辛かったです。」
「苦労なさったのですね。」
「いえ1世や2世の方たちに比べたら、私の苦労は比べ物になりませんよ。我々は1世や2世の方たちに感謝しなくてはなりません。こうして我々日本人が異国の地、ハワイで幸せに暮らせるのも彼等の苦労があってのことです。残念なことですが今の若い世代の人たちはその事実を知らない人が多い。そういう歴史を知ると、またハワイも違った目で見ることができるのですけどね。」
日系の方たちの苦労があって今のハワイがあるということは分かっているつもりだったが、こうして日系の方の口から実際に出る言葉には重みがあった。
「着いて数週間後には日本人の夫婦が経営しているベーカリーで働かせてもらいました。ある日の早朝、注文のパンを焼いていたら、居眠りをして黒焦げにしてしまったことがあり、もう駄目かと思ったのですが、ちょうどそこへ主人が戻って来て黒焦げになっているバターロールを無口で取り出して捨てていたのです。心の中では怒っていたに違いないですが、口には出さなかったのが余計に応えました。私は自分の不注意を悔やみ謝りましたが、彼は黙って直ぐに次のバターロールを作り直していました。私が後悔して嘆いていたのをちゃんと知っていたのでしょう。当時まだ30歳前の方だったと思いますが、とてもしっかりされた方だったのを覚えています。彼には今でも感謝しています。それから近所の子ども達にも手伝ってもらいながら新聞配達もはじめ、お金を貯めて中古車を買い、伯母の家を出て、ある浄土宗のお寺の境内の大学生宿舎に引っ越しました。そこでサエとは知り合いました。お互い同じような境遇だったので、すぐに惹かれ合いました。結婚までにさほど時間はかかりませんでした。それから、学校を卒業して2人で暮らし始め、私は鮫釣りの道へ。彼女はローカルの銀行員へ。サエは今でもその時の給料明細をすべて大事にとっているのですよ。以前日本から遊びに来た甥夫婦に自慢げに見せていました。僕には一度も愚痴をこぼさなかったけれど相当苦労したのだと思います。ここまで2人でがむしゃらに生きてきました。今では、彼女はおとなしいですけど、普段は結構毒舌で、冗談もよく言っていたのですよ。信じられないでしょう?なんだか人が変わってしまって。少し寂しいです。」
僕はサエさんの方に目をやった。
数十分ほど前にリビングで見せてもらった59年前の8mm映像に写った古のハワイと元気だった頃のサエさんの映像を思い出した。
「このプルメリアの木はサエと初めて2人で暮らした日に記念に植えたものなのです。早いもので、あれからもう59年が経ちます。来年還暦ですね。ずいぶんと大きくなってしまったけど、僕らの子どものような存在です」。サイモンさんは優しく微笑んだ。
「59年間の間に戦争も経験しました。辛かったすべてから解放されて、残された運命を2人で今生きています。来週サエは手術をします。結果は保証されていませんが、この手術に掛けているのです。元気になったら2人で日本に遊びに行くというのがささやかな今の夢なのですよ。」
サイモンさんはそっとサエさんの手を握った。
空は夕暮れに差し掛かかり、オレンジ色に染まりかけていた。
立派なプルメリアの木は庭いっぱいに陰を伸ばしていた。
優しい風が吹き、59年前と変わらないであろう、甘い香りが僕等を包み込むように通り過ぎた。