
Photo by Kuni Nakai Written by Kojiro Sawa
到着前の機内食を食べるのに気が進まないまま、角の丸まった小さな窓の外を見た。
三日月を思わせる真っ白な砂浜に眩しいほどに煌びやかな瑠璃色の宝石をはめ込んだような景色が目に飛び込んできた。
飛行機は徐々に高度を下げ、オレンジに輝く朝焼けに目を細め、
まだ半分眠っている意識のなかで少しずつハワイを感じていく、この瞬間がたまらない。
ホノルル空港に着き、マウイ島行きの飛行機に乗り継いだ。
ある大物ハワイアンシンガーのインタビューをするため、3年ぶりにマウイ島を訪れた。
カフルイ空港に着いたのは昼過ぎだった。
ハワイの島々はそれぞれに風の香り、海の光り方、緑の輝き、そして空の色が違う。
マウイ島はなんだか母親のような優しい香りがする。
この包まれるような感じがものすごく好きだ。
カアナパリにあるホテルでチャックインを済ませ、必要な荷物だけを持ち、すぐに待ち合わせ場所のワイルクまでタクシーを飛ばした。
ベイリー・ハウス・ミュージアムで通訳の女性と待ち合わせをしていた。
入り口にある大きなマンゴの木を通り過ぎ、中庭へと向かった。
ベンチに座って待っていると小雨が降ってきた。
すると向こうから小柄な女性がやって来た。
赤いムームーを着た気品ある日系人の女性だった。
「こんにちは。すみません遅れてしまって。雨が降ってきましたね。」
「こんにちは。そうですね。僕も今来たところですよ。」
「先方から先ほど電話があり、彼の自宅でインタビューすることになりました。構いませんか?」
僕は一瞬耳を疑った。
ハワイでは知らない人はいないほど有名な彼の家にいけるなんて、 僕は嬉しさのあまり興奮を抑えるのがやっとだった。
彼女の運転で、彼の家へと向かった。
ミュージアムからは10分ほどの所に彼の家はあった。
家に着くとマネージャーらしき男性が家の中へと案内してくれた。
広いリビングにある白い皮製の大きなソファに彼は座っていた。
とても優しい笑顔で迎えてくれた。
彼自らコーヒーを淹れてくれ、緊張している僕をなだめてくれた。
大好きなミュージシャンだったので、聞きたいことがたくさんあった。
予定よりも30分ほど長くインタビューをしてしまった。
記念撮影にも快く応じてくれ、帰りは玄関までわざわざ見送ってくれた。
帰りは通訳の女性がホテルまで送ってくれるというので甘えることにした。
ドライブの途中、助手席側からは海が見えた。
「いい波だ。」
僕は小さな声で呟いた。
「あら、あなたも波乗りやるの?」
彼女に聞こえていたようだ。
「あなたも?」
僕は聞き返した。
「いえ私はやらないわ。」
「じゃあ誰が?」
彼女は少し黙った。
「実は、3年前に亡くなった夫がサーフィンをやっていたの。」
聞いたことを少し後悔した。
「彼らしい死に方だった。仲間と4人で、ヨットでモロカイ島に向かう途中に、嵐が来て、舟が転倒しまって。船はモロカイ島が見える距離で転倒して、彼は助けを求めるために、仲間の反対を押し切って持っていたサーフボードでパドルをしてひとり助けを呼びにモロカイ島へと向かったの。だけど数時間後に、レスキュー隊が来て、他の3人は助かったのだけど、うちの人だけが。彼はいつも自分より仲間という人だったから。」
彼女は少し黙ったが話を続けた。
「彼と知り合ったのは、20年前。私は、メインランドから遊びに来ていたのだけど、当時彼がライフガードをやっていたビーチで溺れていた私を彼が助けてくれたの。その時に私に一目ぼれをしたのだというけど、どうだか。それから数日後、私はメインランドに帰ったのだけど、何度も手紙や電話をかけてきてくれて。半年後にはまたハワイに来ていたわ。そして、初めて彼と出逢ったビーチでプロポーズをされたの。断る理由なんてひとつもなかった。それからどんな時もずっと一緒だった。反対していた私の両親も、彼と彼の家族に会ったらすんなりと納得してくれたわ。」
彼女は一瞬バックミラーを見て、それから話を続けた。
「彼の家は、プルメリア農園の中にあって、そこの管理人をしていたの。家の周りは一日中甘い香りがして、とても幸せだった。決して裕福な家庭ではなかったけど、とても家族の仲がよくてね。友達も沢山居て、毎晩のようにパーティをしていたわ。彼が得意のウクレレを弾き出すと、集まった人たちのお酒のペースがすすむの。言葉では言えない魅力が彼にはあった。普段はシャイなのだけど、お酒を飲むととても陽気になってね。ジョークも絶品だったわ。」
彼女は昔を懐かしむかのように笑った。
「今でも、そこに家族は居るんですか?」
「まだ私もそこに一緒に暮らしているわ。彼との約束なの。どっちかが先に死んでもあの家は離れないって。」
「それはどうして?」
「彼は純粋なハワイアンでね。あそこの家は昔の王族の家の跡地で、彼はそれにものすごく誇りを持っていたわ。今のハワイは観光客も増え、都市化が進み、古き良きハワイが少しずつ失われてきているって、いつも寂しそうに言っていたわ。彼はそれをものすごく恐れていたの。お金はないけど、家族や仲間と集まり、お酒を飲み、食事をして、ウクレレを弾きながら皆で歌い、そして朝まで語りつくすの。そして、困っている人が居たら、他人だろうが助ける。アロハスピリットの固まりみたいな家族なの。だからメインランドから来た私を快く迎えてくれたわ。『仕事、地位、性別、年齢なんて関係ない。あなたが誰なのかが一番大切だ』って言ってくれてね。都会の冷たい環境で育った私には何もかもがものすごく温かくそして新鮮だったわ。ハワイの人はすべての人を受け入れてくれる優しさをもっている。だから、たくさんの人が訪れるのだと思うわ。彼は忘れていた大切な何かを思い出させてくれた。プルメリアの花を生まれて初めて見たのも彼の家なの。広大な敷地に何十種類ものプルメリアが植えられていたわ。あの時の感動は今でも忘れない。この世にこんなに美しくて気品があり、どんなに高価なパフュームよりもすばらしい香りのする花があるなんて、信じられなかった。私はものすごくラッキーだと思うわ。彼のおかげでハワイのいいところ全部見せてもらったような気がする。だから、大好きなやさしい家族とプルメリアの甘い香りに包まれていつまでも生きてゆきたいの。彼はもう私の傍には居ないけど、私や家族の心の中にはいつも一緒に居るわ。」
ハワイの人の温かさを改めて知った時間だった。
彼女は、窓を開け、大きく深呼吸をした。僕もつられるように窓を開けた。
永遠と続きそうな真っ青な空を見上げた。
どこからかプルメリアの甘い香りがしたような気がした。