第9章 食後は手作りティラミスで

Photo by Kuni Nakai     Written by Kojiro Sawa

「新しいメニュー作ったの。食べに来ない?」

ローラからの電話だった。

ローラはキング・ストリートにある小さなイタリアンレストランのオーナーシェフ。

僕がハワイに滞在している時に新しいメニューが出来ると必ず最初に呼んでくれた。

早速お店に出向き、いつもの席に座った。

出されたのは、湯がいてダイスされたイタリアントマトとアンチョビオイルとバージュースで絡められた冷製カッペリーニだった。

まさにシンプルイズベスト。

パスタはシンプルなものほど美味しく作るのが難しいと言われている。

だが申し分のない味だった。

「言うことないよ。毎回君の料理には驚かされるな。」

「いつも同じコメントだけど、何度聞いてもうれしいわね。」

そろそろ例のものくれるかな。」

「はいはい。分かったわよ。」

テーブルにはエスプレッソとローラ自慢の自家製ティラミスが運ばれた。

「男性なのに珍しいわよね。」

彼女は子どもを見るような目で笑いながら言った。

「この時間が一番幸せなんだよ。食後のデザートなしでは、どうも食事をした気分になれなくてね。」

僕はちょっと真剣に答えた。

それを見てまた彼女が笑う。

「エリックもあなたと同じ事を言っていたわ。」

エリックとはローラの夫で歯科医をやっていたが、10数年前に彼女の元から突然姿を消した。

「歯科医でも食後にスイートを食べるんだ?」

「そう。彼もあなたのように毎食食べていたわ。そしていつもこう言うの。『歯も人間の体の一部で、生きているんだ。人間の心や健康の状態がとても影響を受ける。だから、食後に甘いものを食べて、ぼんやりと寛ぐこの時間が心にも歯にも非常によい事なんだ。』ってね。」

僕は思わず納得し、勝ち誇った顔をした。

「そんな得意げな顔をしないでよ。」

ローラは束ねた後ろ髪を触り笑いながら言った。

 

ローラとはインタビュー取材で知り合った。

ローラとエリックの2人の事実を知ったのはある忘れられない出来事がきっかけだった。

3年前に僕は、あるビーチパークの大きなプルメリアの木の下で、読書をしていた。

隣ではホームレスの男性が袋からリンゴを出して食べていた。

1時間ほど経った頃、突然どうにもならないほどの頭痛に襲われた。

頭がもうろうとして、そのままそこで気を失ってしまった。

気が付くと病院のベッドの上にいた。

過労のためだった。

するとベッドの横にはリンゴがひとつ置いてあった。

さっき僕の隣にいたホームレスの男性が運んでくれたのだろうか。

もしそうだとしたら、彼に逢ってお礼が言いたかった。

しかしまた逢える保障はどこにもなかった。

ナースに聞いても何の手がかりもつかめなかった。

僕はそれから、またあの男性に会えるかもしれないと、ハワイに来る度に、その公園を訪れていた。

しかし、会うことが出来ないでいた。

ところがある夏の午後に奇跡は起きた。

ある女性の取材で、オアフ島西部のある地域に来ていた。

その女性は、そこに野宿するホームレスの人たちに無料で食事を配っていた。

その女性がローラだった。

僕はローラの仕事を手伝いながら取材を進めた。

彼女は、ホームレスの人たちに

「今日一日にあなたがしたよいことをひとつだけ教えて。」

と一人ひとりに声を掛けていた。

それが料理との交換条件だった。

その答えが嘘でも真でも彼女にとってはどうでもよかったのだ。

そして、ある男性が目の前にやってきた。

僕は驚いた。あの時の男性だった。

話しかけようとしたが、彼の様子がちょっとおかしかった。

ローラの質問にもちょっと戸惑っていた様子だった。

その後、彼が食事をしているところに歩み寄り、思い切って声を掛けた。

彼は恥ずかしそうに、その時の様子を語ってくれた。

僕は何度もお礼を言った。

そして、とんでもない事実を耳にすることになった。

「以前ある女性と結婚をして、カリフォルニアのサンフランシスコで暮らしていたんだ。当時僕は歯科医をして生計を立てていた。やがて、自分で開業して、幸せな日々を送っていたのだが、それも長くは続かず、ビジネスは年々うまくいかなくなって、ついには多額の借金を背負うことになった。それで、僕は妻を置いて、ここハワイにやってきた。こちらでも最初は歯科医をしていたが、それもうまく行かず今ではこのような姿になってしまった。でも島の人たちは温かいし、気候もいい。ホームレスだけどとても居心地がいいんだよ。こうして食事をくれる優しい人も居るしね。彼女はあなたの知り合いかい?」

「いえ違います。僕は日本から来ていて、彼女を取材しているのです。」

「そうか。じゃあ彼女はハワイの人かい?」

「いえ、数年前にカリフォルニアから引っ越してきたって言っていました。名前はロー」

「名前はローラだろ」。

彼は僕が言い終える前に小さく笑いながら言った。

「え?」

僕は驚いた。

「そう、彼女が僕の妻だ。いや妻だった女性だ。まさかこんな形で再会するとは夢にも思っていなかったよ。僕も驚いた。おそらくまだ彼女は僕に気が付いてはいない。このことは黙っていてくれないか。」

「ええ。わかりました。」

僕は複雑な気持ちだった。

「君はよくハワイに来るのかい?」

「年に5回ほど。」

「そうかい。じゃあ、また会ったら声を掛けてくれよな。それと、何度も言うが、彼女には絶対に内緒にしていてくれよ。」

その男性は僕の元を去った。僕に向けられた背中がとても寂しそうに見えた。

 

僕は最後のティラミスを口にした。

「君の夫もまた、きっとこのティラミスを食べたいだろうね。」

「そうかしらね。今度例のボランティアで、このティラミスも料理と一緒に出そうと思っているの。みんな喜んでくれるかしらね。」

「それはいいアイディアだね。」

僕はエリックの事を思い出していた。

彼がこのティラミスと再会したら、何を思うのだろうか。そんなことを考えていた。

「1人必ず喜んでくれる人がいることは確実よ。その人は必ず食後にデザートを食べる人なの。」

初めは彼女が何を言っているのかが分からなかったが、それに気が付くのに時間は掛からなかった。

「まさか。」

僕は思わず声に出してしまった。

「逢った時から気が付いていたわよ。それにあなたが彼と話しているところもちゃんと見ていたわ。私がハワイに来たのは全くの偶然だけど、あそこでエリックと再会したのには正直私も驚いたわ。愛している人の顔なんてそう簡単に忘れるわけがないじゃない。それにあの人も私の自慢のティラミスの味は絶対に忘れてないはずよ。また、1から2人でやり直してみせるわ。大好きなここハワイでね。」

 

僕は残りのエスプレッソを飲み干し、厨房に戻るローラの背中を見た。

彼女は右手を上げてVサインをした。

僕はローラとエリックのこれからの幸せを心から願った。