
Photo by Kuni Nakai Written by Kojiro Sawa
ホノルルにある介護施設の窓からの景色を眺めていた。
介護施設には、バスケットゴールやクリスマスツリー、それに趣味のいい家具が備えられていた。高級ホテルを思わせるその施設内には、ハワイ各島からはもちろん、アメリカ本土からもたくさんの人たちが利用していた。
6回目となる夏のクリスマスは、ある老人夫婦と過ごすことになった。
僕は半年振りの休暇でオアフ島に来ていた。
ホノルル空港で、ある夫婦に出逢ってから、予定していたスケジュールをすべて変更して、この夫婦に付き添うことにした。
日系3世である男性の名前はベンさん、そして車椅子に乗った日本人女性は妻のミチコさん。彼等はラスベガスに住んでいて、老後はベンさんの生まれ故郷であるオアフ島で過ごしたいという夢を叶えるために、53年ぶりにハワイを訪れていた。
空港で迷っている2人を見掛け、声を掛けたのが知り合うきっかけだった。
2枚のロングボードを載せるために8人乗りのバンをレンタルしていたので、2人をホテルまで送ることにした。
僕がミチコさんの日本に住む甥に似ているということから会話が始まり、車内での話は尽きなかった。
僕は2人の人柄に惹かれたのはもちろんのこと、53年ぶりのハワイが2人にどのように映ったのかを知りたかった。
アラモアナにある2人が滞在するホテルまで送り、翌日また会う事を約束して、その日は別れることにした。
翌日の昼に、待ち合わせをしていたアラモアナ・ビーチパークまで車で向かった。
待ち合わせの場所の近くのベンチに2人は座っていた。
「こんにちは」と声を掛けると、
「こんにちは」と会釈しながら2人はうれしそうに笑顔で応えくれた。
「どうですか53年ぶりのハワイは?」
ベンさんはあらぬ方向を見据えながら僕の質問に言葉を選んでいる様子だった。
しばらくして、口を開いた。
「ホノルルには何せ53年振りで帰ってみたのですから、昔の面影は見る事は出来ませんでした。頭の中では静かで綺麗だった海岸や海岸沿いの公園などを描いていたのですが、全く違う場所を見る様な感じで正直がっかりしました。ハワイはのんびりしていると言うイメージはホノルルには最早通用しませんね。すっかり賑やかな狭い観光都市と成り果ててしまいました。それでもなお新しい建設工事が行われており、同時に道路工事も常に彼方此方で行われていて。」
僕は予想もしなかった答えにショックを受け、何も言葉を返せなかった。
ベンさんはそのまま話を続けた。
「目にしたもの全てが驚くことばかりで。先ず、人口が増えたうえに観光客や自動車も増え、一方通交の道路が多い事。また高層ビルがひしめき合って建ち並んでいた事などです。宿泊しているアラモアナにあるホテルは清潔で、ラナイ(ベランダ)からの景色も綺麗でしたが、アラモアナ・ビーチパークをドライブしても駐車場が満杯で車を停めて見てまわることも出来ないくらい人が多くてうんざりしてしまいました。ワイキキー・ビーチには駐車場が無いので、入る事も出来なかったのでドライブをしながら写真を撮ったほどです。此れが今まで憧れていたハワイなのかと愕然としました。祖父がまだ子どもの頃は、『トランクを道端に置いても次の日に、そのまま同じ場所にちゃんとあった。』と言っていたのが嘘のようです。私の生家はホノルル市内の中心地区で現在では、全く昔の原型を留めていない場所となっていましたが、お世話になった伯母の新築の家は勿論今では人手に渡っていますが、当時のままの姿で大変懐かしく思いました。その頃はパンチボールが真正面に良く見えていましたが、今回目にした風景は高層ビルが建ち並んでいて海が見えなくなっていました。周りには多くの家が建ち並び狭く感じましたが、それでも当時と同じ道路が残っていました。また通っていたハイスクールの建物もそのままの姿を見る事が出来て、非常に懐かしく思いましたが、それ以外の場所は全て変わり果てていました。」
ベンさんは悲しそうな顔で海を眺めていた。
横では、静かに黙ってミチコさんが座っていた。
今度は少し笑顔を取り戻し、話しを続けた。
「なんだか悪い話ばかりしてしまいましたけど、ホノルルから離れて反対の東側、又は北側まで行けば美しいブルーの海岸沿いに出合い、見渡せるゆったりした風景には流石に和まされました。ラスベガスに住んでいますと美しい海にはどうしても憧れてしまいます。あそこは砂漠ですからね。」
ベンさんは笑いながら言った。
「結構ドライブされたのですね。」
「ええ。やっぱり自分達の足で確認したかったので、ホテルでレンタカーを借りました。久しぶりにホノルルでドライブしたら、一方通行の道路が多いので、中々目的地に辿り付けず迷ってしまいました。また道路の標識が小さくて見え難い事、日本人にはローマ字を読む要領で読み易いかもしれませんが、非常に覚え難いハワイアンの名前で書かれていることも少し不便を感じました。歳ですかね。それに標識が必ずしも四つ角に無い道路が意外と多かった事などで、直ぐに迷ってしまいます。山間部と海の間の街ですから迷っても遠くに行く事は有り得ませんが、曲がりくねった道路が多いのが曲者です。 人口が凄く増えた上に観光客の足並みと更に彼等のレンタカーの数で混雑して居り中々移動出来ない。駐車場は常に満杯状態で身動き出来ず、駐車して地図で現状地を確認する事すら不可能で。ラスベガスのストリップの繁華街の渋滞以上の有様でした。昔の記憶では綺麗で静かだった海岸や海岸沿いの公園は人込みと自動車の数の多さに昔の面影を見出す事は不可能で何となく狭苦しくさえ感じました。私の長年の念願だった夢は叶えられたものの、此れが現在の観光地となったホノルルの現状と思うと寂しくさえ思いました。最早住む街では無く、観光するだけの街となっていましたね。」
ベンさんの表情がまた曇り始めた。
僕はただただベンさんの話を聞くことしかできなかった。
「またパンチボールから眺めた風景で更に驚きました。高層ビルの為に昔のようにダイヤモンド・ヘッドが完全な姿で見られなくなっていました。」
僕は何か言おうと言葉を探したが見つからなかった。
今のハワイしか見ていない僕にとっては、今のハワイが一番だと思っていたが、それは大きな勘違いで、文明の発展が、古き良き時代の物を壊していた事実を受け止めるしかなかった。昔のものを守り続けるのは不可能に近いが、笑っている人がいる反面、悲しんでいる人が居るという現実を目の当たりにして、とても複雑な心境だった。
僕には何もできないかもしれないが、これからのハワイとの関わり方が少し変わるような気がした。
何も言えない僕を見て、ベンさんは謝った。
「すみません。なんだか愚痴ばかり言ってしまって。期待が大きかった分、目の当たりにした現実とのギャップにがっかりしてしまって、つい興奮してしまいました。僕の生まれ故郷ですから、当然嫌いになったわけではありません。ただただショックで。あなたもハワイが大好きなのですよね。そんなあなたに夢を壊すようなことを言ってしまって本当に申し訳ない。」
ベンさんは深々と頭を下げた。
「頭をあげてください。話を聞いてとてもショックでしたが、53年という月日がそこまでハワイを変えていたとは知りませんでした。ただ、ハワイは確かに変わったかもしれませんが、ここに住む人たちのアロハ・スピリットは変わってないと僕は信じたいのですが。」
ベンさんは困ったように、微笑んだ。
「ええ。最後にそれを言おうと思ったのですが、先に言われてしまいましたね。それだけが救いでした。ここは観光地ですが、ハワイに住む人たちは心にゆとりがある。全てのものを分かち合いそして全ての人を受け入れる温かくて優しい心があります。それは昔も今も変わりませんね。」
僕は、それを聞いて心からうれしかった。
2人はラスベガスでの生活を選ぶことにした。ハワイ移住が叶った暁には2人で過ごす予定だったという介護施設を帰る前に見学したいということで、3人で介護施設を訪れた。「とても素的な施設ね。ここで過ごせないのは残念だけど、これもご縁だからね。」ミチコさんは施設を見回して寂しそうに言った。「ハワイに住む夢は破れたけど、また旅行で来たいわね。今度はハワイ島やマウイ島にも行ってみたい。」ベンさんは言った。
「その時は呼んで下さい。僕が案内しますから。」
「是非お願いしますよ。」
僕等は大きな窓から景色を眺めた。
クリスマス一色に包まれた施設の窓からは、高層ビルの向こうに、半分だけ見えるダイヤモンド・ヘッドを覆うように大きなダブル・レインボーが掛かっているのが見えた。
3年後ベンさん夫妻から一通の手紙が届いた。宛名を見るとそこにはハワイカイの住所が書かれていた。僕はすぐに旅行会社に電話をしてハワイ行きのチケットを予約した。