
Photo by Kuni Nakai Written by Kojiro Sawa
僕はカイルア・コナの港に座り、目の前にある巨大なダブルレインボーが逃げてしまうまで、しばらく眺めていた。
プライベートでハワイ島に来るのは4年ぶりだった。
仕事で来る時は1日中動き回っていて、ハワイを満喫している時間などほとんどないが、こうしてプライベートで来ると意外と何もすることがないことに気がつく。
波乗りをしてその後読書をするか、虹や海を見たりしてボーっとする以外にあまりやることがない。あとは、好きな店で美味しい料理とワインでも飲めれば十分だった。
明日は、2年ぶりにリエンと会う。
滞在しているホテルでピックアップしてもらい、彼女がよく行くというサウスの海でシュノーケルをすることになっていた。
翌朝、リエンはいつものように待ち合わせの時間丁度にホテルのロビーにやって来た。
「久しぶり。相変わらず、真っ黒だな。」
「あなたこそ、変わらないわね。」
真っ黒な肌に白い歯がまぶしかった。
リエンは、僕がヒロに留学していた時のシェアメイトの1人だった。
それ以来良い友達として付き合っている。
「さあ、行きましょう。今日のポイントはイルカが見えることで有名なのよ。でもね、イルカは純粋な人のところにしか来ないからね。」
リエンは意地悪な笑みを見せながら言った。
「じゃあ、今日僕だけがイルカに会えるということか。」
僕も笑いながら答えた。
オープンカーでのドライブはとても気持ちが良かった。
僕が初めてリエンに作った納豆そばをリエンが気に入って毎日食べていたことや、もう1人のシェアメイトで沖縄出身のモリツグが弾くウクレレがうるさかったことなど、思い出話は尽きることがなかった。
ダイナミックなハワイ島でのドライブは特に快適だ。
どこまでも続きそうな長い道と、吸い込まれそうな大きな空と真っ青な大海原を見ながらのドライブは最高の贅沢である。
1時間半ほど南に車を走らせたところにそのポイントはあった。
さっそく、シュノーケルをつけ、海へと入った。
「イルカはちょっと沖まで行かないと見られないわ。」
「まあ、そんなに焦らずに、ちょっとこの辺で楽しんでから行こうよ。」
海中には色とりどりの鮮やかな魚が自由に泳ぎまわっていた。
ウミガメの姿もあった。
これだけでも十分だった。
しばらくするとリエンが叫んだ。
「ねえねえ。見て、あっちの方。」
彼女は興奮しながら沖の方を指差していた。
そこにはイルカの群れがあった。
僕は言葉にならない感動を覚えた。
「早く行ってみましょう。」
「ああ。」
僕等は、イルカが行ってしまわないようにと願いながら沖へと泳いで行った。
この海には僕等以外誰も居なかった。
14頭のイルカの群れを目の前に言葉を失った。すると、4頭のイルカが僕等の方へと近づいて来た。そして、僕等を誘うように海底へと潜っていく。
彼女達を追いかけて潜ると、太陽が指す光と、優雅に泳ぐイルカとがシンクロした神秘的な光景がそこにはあった。
まるで夢の中にいるようだった。
すると、残りの10頭のイルカたちもやって来て、僕等の目の前で踊りを踊っているかのように泳いで見せた。
信じられない光景だった。
時間を忘れて彼女達が居なくなるまでずっと見ていた。
「何度もここに来ているけど、こんなことは初めてだわ。本当に信じられない!」
リエンはタオルで濡れた長い髪を拭きながら興奮して言った。
「僕等はとても幸せ者だな。きっと彼女達が祝福してくれたのだね。」
僕もまだ興奮していた。
「なんと言っても僕等は純粋そのものだからな。」
二人は声を出して笑った。
リエンが作ってくれたサンドイッチと温かいコナ・コーヒーを飲んで冷えた体を冷やした。
とても贅沢なひと時だった。
「ねえ、これからちょっと行きたい所があるの。付き合ってくれない?」
特に予定などなかったので、付き合うことにした。
さらに車を南に走らせ、途中の小さな町にある緑色の屋根の家の前で車を停めた。
ハワイ特有の平屋の家だった。
綺麗に手入れされた庭に目を奪われた。
中からは車椅子に座った綺麗な老人の女性が出てきた。
「リエン、久しぶりね。例のものはできているわよ。さあおあがりなさい。」
僕もおじゃまさせてもらうことにした。
「何か飲んでいく?」
その女性は優しく聞いたが、
「すぐに行くからいいわ、どうもありがとう。」
リエンは急いでいる様子だった。
「じゃあ、あれを持ってくるわね。」
女性が手に持ってきたのは、チューベローズとピカケで出来た見事なレイだった。
「とても素敵だわ。どうもありがとう。」
「じゃあ、私の分まで頼んだわよ。」
「ええ。では行ってきます。」
僕は敢えて何も聞かず、その女性にお礼を言って、リエンの後を付いて行った。
到着した先は、サウスポイントの少し東側にある有名な釣りのポイントだった。
空は橙色に染まり始めていた。
車を近くに停め、5分ぐらい岩場の道を歩いた。
そこは、急な崖になっていた。
リエンは立ち止まり、先ほどの女性が作ったレイを足元に置き、膝を突いて祈り始めた。
僕も彼女と一緒に祈った。
「実はね、9年前の今日、私のグランパはここで大好きな釣りをしていて、突然やってきた巨大な波に飲み込まれて亡くなったの。ハワイではその波は“お化け波”と呼ばれていて、突然やってくるという噂があってね。遺体は結局見つからないまま。きっと今もこの広い海のどこかで眠っているはず。私は、両親を早くに亡くし、グランパとグランマに育てられたから、その時は、ショックでしばらく何もできなかった。当然残されたグランマもね。だから、彼女は毎日欠かさず、ここに通い続け、自分で作ったレイをグランパに捧げていたの。」
リエンは遠くを見つめながら、話を続けた。
「でもね、グランパが亡くなったちょうど1年後にグランマもここで、お化け波に飲まれて帰らぬ人に。信じられない嘘のような話だけど、きっとグランパが迎えに来たのだと私は思っている。今は2人でこの海できっと幸せに暮らしていると思うわ。それからは、さっきの女性がレイを作ってくれて、私がこうして毎年2人に会いに来ているの。彼女はグランマの同級生でスーザンという女性。とても心優しい人よ。彼女は最寄りの家族が居ないので、私を自分の孫のように可愛がってくれているの。」
僕は突然の話に戸惑い、返す言葉がみつからなかった。
「ねえ、今日って何の日か知っている?」
「七夕?」
「そう。七夕。日系2世だったグランパとグランマは、毎年七夕になると、笹を家に飾っていたわ。私も願いごとをよく書かされたものよ。日本では、彦星さまと織姫さまが1年に1度だけ会える日だとかって言われているのでしょ? グランパとグランマも七夕の日にここで再会したのよ。なんだか不思議な話よね」。
リエンは空を見上げていた。そして星が出るまでここに居たいと言った。
断る理由などなかった。
数時間後、空には満天の星と、どこまでも続くミルキーウェイがキラキラと輝いていた。
コナウインドが頬にやさしく伝わった。僕等は寝そべって夜空をいつまでも眺めていた。