第8章 コーヒー豆がくれた宝物

Photo by Kuni Nakai     Written by Kojiro Sawa

約6時間のフライトを終えホノルル空港に着いた。

人の群れとは違う出口を抜け、観光客にはあまり知られていない小さなレンタカーカウンターへと向かった。

待つことが苦手な僕は、いつもこのカウンターで車を借りる。

レセプションではマユミがいつもの笑顔で迎えてくれた。

ハワイに来たと実感する瞬間だ。

彼女といつものようにたわいも無い会話をして、キーを受け取り、指定された車に乗り込み、H1を抜け、ノースへと車を走らせた。

早速虹の歓迎があった。なんだかいいことがありそうな予感がした。

12時に友人であるユウキとノースで会う予定だったが、少し時間があったので、パイナップル畑を抜け、ワイルアの町に寄り道することにした。

行きつけの小さなベーカリーで、大好きなチョコクロワッサンとホットソーイラテをオーダーした。

誰もいない駐車場で、真っ青な空を見つめながらチョコクロワッサンを頬張った。

至福のひと時だ。

待ち合わせ場所であるハレイワのメキシカンプレートランチ屋の前に行った。

すぐに白い大きなバンに乗ったユウキがやって来た。

相変わらず、黒いTシャツにジーパン、そしてウエスタンブーツという風変わりな格好に、右手にはマルボロ、左手には炭酸飲料のボトルを持っていた。

ハワイでは浮いた風貌だが、世界のツアーガイド選手権で、ハワイ代表に選ばれたこともある、ハワイではちょっとした名物ツアーガイドだ。

「久しぶり。相変わらず、大盛況だね。」

「ああ。お陰様で今日も満席だよ。今回も仕事?」

「今回はプライベート。」

「プライベートでもハワイ?好きだね。」

「家のハワイアンコーヒーの豆が切れたから買いに来ただけだよ。」

「羨ましい身分だな。」

ユウキは笑いながらタバコに火を付けた。

「どれくらい滞在するの?」

「1週間。」

「たった一週間?」

ユウキは驚いて言った。

「働き者の日本人にはこれが限界だよ。それにしても、相変わらず炭酸飲料とタバコだな。体には気をつけろよ、独り身なんだから。」

「うるせーな、分かっているよ。」

僕等は30分ほどたわいもない会話を楽しんだ。

「ごめんな、こんなところまで呼びつけて。忙しくて時間作れそうにもなかったから。」

「構わないよ。来月また仕事で来るし。」

「そうか。じゃあまた連絡するよ。」

「OK。じゃあまたな。」

ユウキはバンに乗り込み、仕事へと戻った。

僕は、ハレイワにある行きつけのサーフショップに向かった。

ちょうどオーダーしていたサーフボードが出来ているはずだった。

手にしたサーフボードは想像以上にいい出来栄えだった。

あまりのうれしさに興奮を抑えきれなかった。

しばらく波乗りをしていなかったので、海に浸かりたかった。

早速、ホテルに向かいチェックインを済ませ、カカアコへと車を走らせた。

ここは、ちょっと年老いたローカルサーファーが集まるポイントだ。

混んでいても5人がいいところだった。

よそ者の僕も快く迎えてくれるお気に入りのポイントだ。

サイズは3フィート。十分に楽しめるサイズだった。

気がつけば夕暮れ近くになっていた。

ハワイでの波乗りは格別だ。

小腹が空いたので、ホテルへ戻りシャワーを浴び、チャイナタウンへと向かった。

まだハッピーアワーに間に合う時間だった。

お気に入りの店へ入り、キンキンに冷えた白ワインとムール貝のワイン蒸しをオーダーした。日本人の姿は1人もなかった。

1人での夕食は寂しいがもう慣れたものだった。

途中、ソーイラテを買って、部屋に戻った。

ひと昔前だったら、スポーツバーなどで夜中まで飲んでいたが、今は21時にはベッドに就く。朝は日の出前には起き、波乗りへと向かう。夕方はソーイラテ片手にお気に入りの公園で読書をする。だいたいこれがいつものハワイでのパターンだった。

コーヒー豆を買うことも忘れ、滞在も最終日を迎えた。

波乗りを終え、シャワーを浴び、ラナイでしばらくゆっくりしているとコーヒー豆を買っていなかったことを思い出した。

車を西へと走らせ、大好きなコーヒー工場へと向かった。

いつものピーベリーのダークローストを5つ購入して、工場内に設置されているカフェでアイスコーヒーを飲んだ。

1週間の滞在はあっという間だった。

特別何をするわけではないが、ハワイに居る時は、自分が自分で居られる気がした。

東京でのしかめ面を笑顔に変えてくれ、気がつけば毎日笑っていた。

自分をリセットできる、僕にとってハワイはそんな場所だ。

夜時間を潰すのに、数年ぶりにワイキキの街を歩いてみた。

すると、目に付いたドアに書かれた“Tattoo”の文字。

中からは真っ赤になった左肩を手で押さえ、ビールを飲みながら痛みをこらえている身体の大きいハワイアンと思われる青年が出てきた。

だが髪を切る気分でなんとなく店に入ってしまった。

いかつい男が受付に座っていた。

少しばかり緊張が走ったが、話してみると気の優しいナイスガイだった。

彼の名前はリック。5年前にメインランドからハワイにやってきたという。

メインランドでは、ギャングをやっていて、刑務所を何度も出たり入ったりしていたという話までしてくれた。そんな話を聞いてさらに不安な気持ちにかられた。そんな彼には仕事もなく、たまたま懸賞で当たったハワイ旅行でハワイに来たという。それ以来住みついてしまったようだ。

「当時の俺には何も無かった。ハワイでも仕事を探したけど、こんな俺だ、仕事なんて見つかるはずなどなかった。3ヶ月間何も見つからなかった。途方にくれていた俺をここのオーナーが拾ってくれたんだ。感謝の気持ちでいっぱいだったよ。何も技術のない俺にオーナーは1から技術を教えてくれた。5年目にして、やっとライセンスも取った。昨日取れたばかりだ。俺は今最高にハッピーだよ。ハワイに来る前は、笑うことなんてとっくに忘れていた。でも今じゃ、こうして毎日笑っているよ。」

リックはそう言いながら大声で笑った。

「ハワイは最高の場所だぜ。死ぬまでハワイを忘れないよう、左腕にオーナーに彫ってもらったんだ。」

自慢の左腕には、ハワイ諸島が見事に彫られていた。

「僕にもそのハワイ諸島を彫ってもらってもいいかな?」

僕は無意識にそう尋ねていた。

リックは少し驚いた様子で、

「ああ、もちろんだとも。でも今オーナーは接客中だからちょっと待つことになるけどいいか?」

「リック、君が彫ってくれよ。」

僕はなんだか分からなかったがそう言っていた。

「お前正気か?お前が俺の初めての客だぞ。」

何故だか彼に彫ってもらうことに不安はなかった。

「酔っ払ってもいないよ。僕は君にやってほしい。」

リックはしばらく黙った後、

「わかった。気合入れてやってみるよ。」

笑顔のなかにも緊張がうかがえる顔で答えた。

少し考えたあげく、左胸に彫ってもらうことにした。

大好きなハワイを胸に刻みたかった。

ものの十分程度で終わったが、何時間にも感じられた。

終わる頃リックが大声で笑い始めた。

「なんでそんなに笑うんだい?」

僕は尋ねた。

「だって、お前の鼻の頭にハエがずっと止まっていたけど、お前全くそれに気がつかないんだぜ。緊張しているのはお前の方だったんじゃないか?おかげでこっちは緊張が解けたけどな。ほら、見てみな。完璧だ。」

リックは満面の笑顔で鏡を渡してくれた。

僕もリックも汗をかいていた。

左胸にはリックと同じ、見事なハワイ諸島が刻まれていた。

なんだかとてもうれしくなり、鏡を何度も見た。

「リックどうもありがとう。最高にうれしいよ。」

「これは俺からのプレゼントだ。お前が俺の第1号の客だからな。こちらこそありがとう。お前にも一生ハワイのことは忘れないでほしい。」

「どうもありがとう。絶対忘れないよ。そして君のことも。」

僕等は固い握手をして別れた。

僕は少し興奮しながら店を後にした。

しばらくは笑顔が止まらず、まだ左胸に残る熱を感じながらワイキキの雑踏へと歩いて行った。