
Photo by Kuni Nakai Written by Kojiro Sawa
飛行機の窓から虹を見下ろすのはこれで2度目だった。
なんとも贅沢な景色だろう。
陸地ではハワイの人たちの一日がこれから始まろうとしていた。
そして、僕のハワイ滞在もこれから始まろうとしていた。
何度来ても興奮する瞬間だ。
今回の滞在は、仕事の打ち合わせで3泊5日というタイトな日程だった。
さらにある事情があり、日帰りでハワイ島にも行くことにもなっていた。
ある事情とは1ヶ月前、旅行雑誌の取材でカメラマンとボルケーノの撮影に行った際に、カメラマンが溶岩をこっそりと日本へ持ち帰り、それから原因不明の病気にかかったり、けがをしたりと大変だった。
きっとペレ(空と大地の間に生まれ、キラウエア火山に棲むと信じられている激しい性格の火の女神)が怒ったのだろうと冗談交じりで言っていたが、どうやらそのようだった。
持ち帰った溶岩をペレのもとへと返し、病院に居る彼の代わりにペレに謝罪をする役目を引き受けてしまったのだ。
打ち合わせは初日に終わらせ、ハワイ島へは2日目に行くことになっていた。
ハワイ島は晴天だった。これからペレの元へ向かう不安を少しばかり癒してくれた。
レンタカーでヒロの町に寄り、ペレに捧げるレイを買い、キラウエアへと向かった。本当はゆっくりランチでもしたかったが、そうはしていられなかった。
何せ怒らせてしまった相手はあのペレだからだ。
2時間ほどで、キラウエアに着いた。
そこは海へ流れ出る溶岩をひと目見ようと世界中からたくさんの観光客たちが集まっていた。僕は彼等を余所目に現場へと急いだ。
大体言われた通りの場所に着いた。
持ち帰った溶岩を戻し、レイとペレの大好物のジンのボトルを捧げ暫く祈った。
暫くすると体が熱を持ち始めた。こんなことは初めてのことだった。
ペレに伝わったのだろうか。
僕は立ち上がり目を開け大きく深呼吸をし、空を見上げた。
雲ひとつ無い綺麗な青空だった。
なんだか許してもらえた気持ちになった。
そして車に戻った。
レンタカーのリターンはコナになっていたので、コナの街へと車を走らせた。
遅めのランチをとり、ブラックコーヒーを飲んで一息ついてから、空港へと向かった。
ホノルルに着いた頃にはサンセットは終わっていた。
その晩にイリカイにあるホテルのバーに行った。
そこは行きつけのバーだった。沖縄出身のバーテンダー、リッキーの作るジントニックが飲みたかったからだ。
その道20年の彼が作るジントニックに勝るものに未だ出合ったことがない。
バーに居る客は運良くまだ僕1人だった。
誰にも邪魔されず、リッキーとの会話が楽しめた。
彼の話を酒の肴にして飲むのがまた楽しかった。
大好きなジントニックはすぐに7杯目を数えた。
酒が強くない僕が酔うには十分過ぎる量だった。
疲れも加わり、かなり酔っていた。
「そういえば、2階に新しいダイニングレストランが出来たぞ。」
リッキーがどうやら何かを話しかけているようだった。
「結構評判いいみたいだぜ。取材のネタになるかもしれないから時間があったら行ってみなよ。深夜までやっているらしいから。」
「明後日には帰るから、これから行ってみようかな。」
僕はかなりいい気分になっていた。
「行っちゃうのは寂しいけど、せっかくだから行って来いよ。」
「なに、これが最後じゃないんだからさ、そんな顔しないでよ。ところでそのレストランは何階にあるの?」
「2階のエレベータ降りたすぐ右側に入り口があるから、すぐに分かるはずだ。」
「どうもありがとう。じゃあ行ってくるよ。また来る。ごちそうさま。」
100ドル札をカウンターに置いて僕はすぐに店を出た。
閉店間近だったからか、客は僕以に外誰も居なかった。
ウエイトレスがオーダーを取りにやって来た。
黒くて長い髪に、日に焼けた肌、吸い込まれるような大きな瞳。
申し分のない美女だった。
しばらく見とれてしまい、オーダーすることさえ忘れてしまった。
そんな僕を見て、彼女は笑った。
その笑顔にさらに惹きつけられた。
そんなにお腹は空いていなかったので、簡単なププ(つまみ)をオーダーした。
どうやらウエイトレスは彼女1人らしく、暇だったからか彼女の方から話かけてきた。
話が盛り上がり、閉店後、近くのバーで飲まないかと誘われた。
断る理由もなかったので、そうすることにした。
店の前で彼女を待つことになった。しばらくして彼女がやって来た。
ユニフォームを着替えた彼女は一段と美しかった。
僕等はハーバーの近くにあるバーに入った。
深夜だというのにたくさんの客で賑わっていた。
彼女を通り過ぎる男達の視線は全て彼女に向けられた。
僕はなんだか気分がよかった。
僕は今回ハワイに来た理由を彼女に話をした。
彼女は、嘘のような話を笑顔で嫌な顔ひとつせずに真剣に聞いていてくれた。
「あなたは純粋な心をもっているわね。嘘をつく人の目ではない。私には分かる。きっとお友達の病気も治ると思うわ。ペレも分かってくれたはずよ。ただ、これだけは言っておくわ。そのお友達にもうそんなことは2度としないようにあなたからも云うべきね。次は、もうペレも許さないと思うから。」
僕は、なんだかペレ本人に言われている気分になった。
酒もすすみ、この後の記憶が全くなかった。
芝生に寝転がり、広い真っ青な空に浮かぶ雲の群れを眺めていた。
雲の変わりゆく様を楽しんでいた。ひとつの雲がペレの横顔に見えた瞬間、目が覚めた。
ひどい頭痛だ。
起き上がり周りを見渡すと、ホテルの部屋だった。
それにちゃんとベッドの中に居た。
いつ、どうやって戻ったのか全く記憶がなかった。
その晩、あのレストランに行ってみたが、不思議なことにそんなものは存在していなかった。何が起こったのか分からなくなり、急いでリッキーに会いに行った。
「二日酔いだろう?」
リッキーは僕の顔を見るなり、笑いながら言った。
「あのレストランはどうした?」
「あのレストラン? もしかしてまだ酔っているのか?」
リッキーは不思議そうな顔をした。
「昨日は大変だったぜ。エレベータの前で寝ているお前をホテルの従業員が見つけて、俺の友人だって言ったら、お前のホテルまで送ってくれて。感謝しろよ。 なんだよ、全く覚えてないのか?」
僕はさらに何がなんだか、分からなくなった。
しばらく沈黙した。そして、昨日の事を思い出した。
彼女はいったい? 顔も、声も、何を話したかもちゃんと覚えている。
あれは夢なんかじゃない。
ただ、それ以降の記憶だけがない。
すると、バーの入り口にあるひとつの絵が目に入った。
僕は目を疑った。
そこに描かれていた女性は、まさに昨日会った彼女だった。
それはペレの絵だった。
僕はペレに会ったのだ。
仮にそれが夢の中だったとしても。
ペレはきっと許してくれた。
例え信じてもらえないとしても、ありのままを病院にいるカメラマンに話そうと決めた。
リッキーが呼んでいるのに気がついた。僕は我に返り、カウンターに座った。
そしていつものようにジントニックをオーダーした。